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日仏協会 初代会長あいさつ

山口日仏協会
ホームペイジの開設にあたって

一言ご挨拶申し上げます。日仏の人的文化的な交流を目的として2007年12月15日に発足いたしました当協会は、現在9周年目の後半に入っており、山口県中に及ぶざっと100名の会員より成立っております。さて創設当初から、協会の存在と活動を広く永続的に公衆に知らせるためにホームペイジを開く必要があることが話題になっておりました。実際2008年にはこれを一旦は試みていたのです。その翌年にはその更新をめぐって若干の試行錯誤もあったのですが、結局はその設備を協会内で維持してゆく体制がととのわず、放棄されてしまいました。しかし数年を経ても形骸は残っているらしく、それを見たということで問合せの電話を下さる人々もありました。ホームペイジのもち得る便利さ、威力の一端を示す事例でありましよう。

それがこの度、ニ度目の試みでついに実現し立ち上がりました。喜ばしい限りです。失敗の経験に鑑みて今回は、情報技術に親しんだ数人のメンバーよりなる運営委員会を発足させ、その維持・発展をはかることにいたしました。こうして私たちは、協会の精神、組織、機能の仕方および活動について発信し、この種のコミュニケイション方式をつうじて情報を求める人々からの反応や回答、あるいは批判などを受取ることが可能になりました。自ら移動して相手に会う必要はなく、離れてはいても「現前」している人と声を交わすのでもなく、時空を超えて今は不在の人に向けてさえも瞬時に情報を提供できるのです。その意味では、哲学者も指摘しているように、「機操」ということは現代倫理の徳目の一つですらあります*1)

しかし反面、忘れてならないこともあるのではないでしようか。ここであえて《communion》は語らないとしても、人と人との《communication》の方法は他にいくらでもあって、それらを無視するようなことがあってはなるまいということです。面談はもちろん、文書による報告や手紙のやり取りも電話での交信も、コムピュータに劣らず有効で、場合によってはもっと真正な交わりであり得るからです。要は、機器にたずさわる私たち、つまり当事者の双方が、単に時間の節約という配慮からではなく、生身の人との交流であることを決して忘れず、知性に照らされた献身の心をもってこれに携わることでしよう。以上、自戒をこめて開設の辞の結びといたします。

*1)今道友信『わが哲学を語る』、かまくら春秋社、平成22年、280ー285頁。
「機操」は「体操」との類比による著者の造語。また「霊操」という表現もある。

2016年9月10日
 山口日仏協会会長 末松壽

在京都フランス総領事シャルランリ・ブロソー(Charles-Henri BROSSEAU)様との歓迎昼食会(2015年4月3日)
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